ドクターMの「美と健康のかかりつけ医」ブログ

2019.03.10

雨の日は、自宅で「自分」と向き合う。

雨がしとしと降る日曜日。

このところ、日曜日はなんだかんだと外出し、休みなのに休みじゃない状況がつづいていましたが、本日はなにも予定がなく朝からずっと自宅内です。

月から土のウィークデイでは体力的にもメンタル的にも余裕がなく放置状態だったことを片付け、新聞も2日分読み、あらごみを片付け、汚れたブーツを磨き、、、、なんてしていると、あらら、もう夕方の5時!

休日はあっという間に、終わります。

そして人生もしかり。

あっという間。

悩んでいる暇もないかもしれません。

 

さて、ごそごそパソコン内のエバーノートの整理をしていると、以前ネット上からコピペした文書に目が留まりました。

普段はネット上の「情報の洪水」の中で溺れそうですが、そんな中、ピカッと光る文章を見つけることがあります。

さっと一読して「また読もう」と思うものは、エバーノート内に保存しているのですが、久しぶりに読んで、ハッとさせられました。。

少々長いのですが、ブログ内に掲載させていいただきます。(著者名の記録を忘れておりました。無断転載、陳謝)

 

4人のレンガ職人】

これはどの仕事でも同じことがいえるかもしれませんが、「こんな素晴らしい仕事をすることでお客様や他の誰かに喜んでもらいたい」という動機を持って仕事を始めながら、いつの間にか「食べるため」だけに仕事をしてしまっている人がたくさんいることも事実です。

もちろん私たちは「食べるため」に仕事をしています。しかし仕事の目的が「自分が食べるため」になってしまうと、自分の仕事においてお客様の存在は二の次になってしまいます。自分が食べるためだけに仕事をするなら仕事の質は下がってしまうことに違いありません。だって自分が良ければそれで良いという思考ですから。 

しかし仕事の目的が「目の前のお客様に喜んでいただく」ことであって、その成果として給料をいただき食べることができる、と「仕事の意味や価値」を考えることができたとしたら、毎日の仕事の質や時間が変わってくることでしょうね。

さらに一歩進めて自分の仕事がお客様に喜んでいただくことの先に何があるのか?と思考を巡らすことができたらどうでしょうか?

自分の仕事は目の前のお客様に喜んでいただくことですが、もし仮にそのお客様があなたのお店を訊ねて、あるいは商品を購入した後に、1000億円の国家プロジェクトの商談に成功したとしたらどうでしょう?あなたの仕事が目の前のお客様のさらに先にある「社会につながり」役に立っている、ということになります。このように考えると私たちの仕事は自分の与えられた役割だけをまっとうするものではなくなるのではないでしょうか?

イソップ寓話に「3人のレンガ職人」というものがあります。今日はそれをさらにスパイスアップした有名な事例「4人のレンガ職人」をご紹介します。

 

旅人がある国を旅していると開けた土地にたどり着きました。そこでレンガを積んでいる職人たちに遭遇しました。おもむろに旅人は職人の一人に尋ねました。

「そこで何をやっているのですか?」

1人目の職人Aは答えました。「見てわからんのか。俺はレンガを積んでいるんだ。暑い日も寒い日も、毎日毎日目の前にあるレンガを積んでいるだけだ。まあそれが俺の仕事だからな。」

「それは大変な仕事ですね。」旅人は慰めの言葉をかけると、職人Aは「なんで俺はこんなことをやらなければならないのか、もっと楽している奴らもいるというのに。まったくついていない人生だ。」と吐き捨てるように言いました。その言葉を背にしながら旅人はさらに歩みを進めました。

 

しばらく行くと2人目のレンガ職人に出会いました。旅人は尋ねました。「そこで何をやっているのですか?」

「ああ、俺はここで大きな壁を作っているんだよ。これが俺の仕事だ。」「それは大変な仕事ですね。」旅人はいたわりの言葉をかけました。 

すると「なんてことはないさ。この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。ここでは家族を養っていく仕事を見つけるのが大変なんだ。俺なんてここでこうやって仕事があるから家族全員が食べいくことに困らない、俺はついている方だ。」

「そうですか、がんばってください。」旅人は男に励ましの言葉を残して歩き続けました。

 

またもう少し歩くと3人目のレンガ職人に出会いました。

「ここでいったい何をしているのですか?」旅人は尋ねました。

「ああ、俺達のことかい?俺たちは歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ!」

「それは大変な仕事ですね。」旅人はいたわりの言葉をかけました。

「いやいや、これは俺たちの仕事が後世まで語り継がれる可能性がある大事業だ。俺たちが名声を得ることになるし、この大聖堂はいつまでも歴史に残るだろうな。すごい仕事ができているよ。大したものだ。」

「そうですか、がんばってください。」旅人は男に励ましの言葉を残して歩き続けました。

 

さらに少し歩くと4人目のレンガ職人に出会いました。「ここでいったい何をしているのですか?」旅人は尋ねました。 

「ああ、よく聴いてくれたね。この場所は素敵なところだ。俺たちはここで大聖堂を造っているんだが、この国の誰もが祈りを捧げる素晴らしい場所になるだろう!」

 

「それは大変な仕事ですね。」旅人はいたわりの言葉をかけました。

「とんでもない。ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払うことになる。何と素晴らしいことだろう!」

旅人はその男にお礼の言葉を残してさらに旅を歩き続けました。

 

4人のレンガ職人の言葉はこのように違います。

職人A:レンガを積んでいるんだ。

職人B:大きな壁を造っているんだ。

職人C:歴史に残る立派な大聖堂を造っているんだ。

職人D:みんなが集まって幸せな気持ちになることができる場所を造っているんだ。

 

4人の職人は同じ「レンガを積む」という行為をしていますが、その行為に対する思考はまったく違っています。

 

Aは命じられたままにさせられている作業のレベルです。働く目的や動機は報酬という見返りのためです。辛い労働だが食べるために日々耐えています。

Bは仕事をすることで自分だけではなく家族という第三者を養うことに目的が向いています。仕事をすることで自分の周りの人のためになっているということを理解しているレベルです。

Cは仕事を事業の業績と捉えてより大きな仕事を任せてもらえるようにがんばっています。この仕事を大きな事業の一部として捉えていますが、働く目的や動機は自己の向上、名声、スキル、年収、地位、評価、キャリアなどを得ることです。

Dはこの仕事そのものに社会的な意義を見出し、自分以外の人たちのどのような役に立っているのかを明確に表しています。今目の前の仕事はレンガを積んで壁を造っていて、それは大聖堂の一部だとしても、その事業がゆくゆくは多くの人が集まる場所となり、その人たちが幸せになっていくだろうということを想像しながら肯定的に仕事を捉えることができている人です。

 

同じ仕事をしていても自分の思考がその仕事にどのような意味や価値を見いだすことができるのか?

それによって職場にいる時間を変え、仕事に向き合う姿勢を変えます。それは全て自分次第です。自分の仕事にどのような意味や価値をつけることができますか?

 

うーん、深い。

自分はいったいAからDのどの位置にいるのだろうか?と考えました。

勤務医時代は、正直言って、AとBの間を行ったり来たりでした。

開業を目指したのは、直接はCのような動機。

そして、今、目指す理想はDの域。

医療と美容を通して、その先の社会への貢献ができればよいなと思います。

そのためには、人間的にも医療レベル的にも、さらにアップデートが必要です。

まだまだ修行が足りんな、と反省しきりですが、60歳までには自分自身に100点満点を上げれるよう、日々精進です。

 

花粉症がピークです。

美容施術にいらっしゃる方々も鼻ズルズルです。

もちろん当院は花粉症治療も承りますので、ご用命ください。

よろしくお願いいたします。